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内藤 多仲(ないとう たちゅう)の経歴と名言「狂気のタワーマニアの実態!」東京タワーの設計者

東京タワーを設計されたかたはご存知ですか。耐震構造の父」と評された内藤多仲さんです。東京タワーをはじめ名古屋や札幌などのテレビ塔を手掛け、「塔博士」とも呼ばれていました。内藤さんの経歴や東京タワーの情報など調べてきました。意外な素材が使われていることが分かりました

目次

内藤 多仲(ないとう たちゅう)の経歴がこちら!

内藤さんは構造家、建築家、一級建築士。明治16年山梨県生まれ、東京大学入学、専攻は造船学。その後建築学に変更。

1924年に1年間留学し、トランクを破損してしまった体験や船の構造などから、「耐震構造理論」を発案。その後「架構建耐震構造論」で工学博士号を取得します。この耐震構造理論を用いり、耐震壁付鉄骨鉄筋コンクリート構造の日本興行銀行や歌舞伎座など手掛け、施工の3か月後に関東大震災がおこります。銀行が無事だったことにより、耐震構造理論が証明されることになり「耐震構造の父」と呼ばれるようになります。

1954年、日本初のテレビ塔、『名古屋テレビ塔』の設計を手掛けます。その後、通天閣、別府塔、さっぽろテレビ塔も手掛けています。(いずれも登録有形文化財に指定されています)1957年に「エッフェル塔より高い塔を作ってくれないか」と要望があり承諾します。70歳の時です。設計には膨大な計算が必要で、それをすべて手作業でこなしていたといいます。
こうした数々の塔設計により「塔博士」と呼ばれるようになります。

戦後間もない時代、何もない、これからという時にこういった人たちがいたからこそ、今の日本があるのですね。

内藤 多仲(ないとう たちゅう)の東京タワーに関する情報!

東京のシンボル”東京タワー。2012年スカイツリーが完成するまで、総合電波塔として役目を果たしていました。現在もトラブルがあった時のために『予備』としての役割をしています。高さは333m。当時はエッフェル塔より高かったです。展望台も設置されており観光スポットとして多くの人が今もなお訪れています。1989年に来塔者が1億人を突破2018年には1億8千万人に達しています。

”東京タワー”という名称は完成前に開かれた「名称審査会」で決定しました。事前に一般から公募し約9万通の応募がありました。一番多かったのは「昭和塔」だそうです。審査会に参加した徳川夢声という方が、「東京タワー」を奨め、決定しました。

なぜ赤と白なんでしょう。それは飛行機が昼間、安全に飛べるように『障害標識』になっているのです。航空法で高さ60mを超える建物には航空障害灯をつけなければいけないという、決まりがあるからです。法律で決められていたんですね。

そして東京タワーに戦車が使われているのは、ご存知ですか?朝鮮戦争で壊れた米軍の戦車を安く買い取っていたそうです。丈夫なことから展望台より上の部分に使われています意外な事実が判明しました。調べてみないと分からないことですね。

内藤 多仲(ないとう たちゅう)が残した名言はある?

“積み重ね 積み重ねても また積み重 内藤多仲

こちらは内藤多仲さんが自筆で座右銘として壁に飾った言葉になります。

内藤多仲さんの人生感が表れた言葉ですね。内藤多仲さん自身も、自らこのことばを日常的に心に留めておくための言葉として、生涯を建築の設計にささげたそうです。

この言葉を3度繰り返す事で影響力を与えるような言葉で、1回だけではなく、3回繰り返すことで、「積み重ね」という言葉の持っている力が高まっていますね!

着実に、表舞台にでずとも、努力を重ねるという事の大切さを教えてくれています。

まとめ

いかがでしたか。東京タワーの設計者、内藤多仲さんについて調べました。東京タワーに戦車が使われていたなんて驚きました!誰かに話したくなるような雑学でしたし、東京タワーの歴史も知ることができました。現在はイルミネーションで私たちを楽しませてくれてますね。

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